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現代魔法(nearly equal 情報技術)を勉強中な人のメモ(チラシの裏)
/ 2024/05/01 (Wed) / 編集
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/ 2009/06/19 (Fri) / 編集
[河北新聞]待ちわびた親ら歓迎 臓器移植法改正案、衆院通過 東北

個人的にはA案がどうのこうのとかではないと思うんだよね。
臓器移植の道が広がることは患者の遺族にはとてもうれしいことかもしれないし、実際助かる命も増えてとてもいいことだと思う、でも「移植するのがあたりまえ」な空気になるのは非常によくないと思う。

臓器移植を待っている人にとっては一分一秒を争うことになる、そういう立場ならきっと催促したくなるだろう。
かといって子供が脳死になってすぐに「臓器提供してください」とかいわれるのも非常にきついと思う、まぁお願いしなきゃ「他の誰かが助かる可能性」に気づけないかもしれないんだから言うしかないんだろうけど、、、

プロであるところのコーディネータさんが言う分には(たぶん)問題ないだろうけど、問題は周囲なんじゃないかと思う。
「あの人の子供脳死なんですって」「ほんと?じゃあ臓器提供するの?」「それが断ったらしいのよ〜」「えぇ〜〜〜」みたいな会話がなされるのはどうかと思うし、テレビとかでも「提供を決断したきっかけは?」「どうして提供しなかったんですか?」みいたいなインタビューが絶対流れると思う。
親族からしたら、脳死とは言っても「次の瞬間に目覚めるかもしれない」と期待しているわけで、周囲からやいのやいの言われたらたまったもんじゃないだろう。

だから問題は「脳死=人の死とするか」「年齢制限撤廃するか」とかの方じゃなくて、「提供しないのもまた選択の一つだ」という空気をどうやって作るかという事だと思う。
「臓器を提供すれば、今も苦しんでいるかわいそうな人が助かる」、それはよくわかる、でも「提供しなければ、一瞬後に目覚めてくれるかもしれない」、そんな希望を持つ家族の気持ちを理解してあげることも大切だと思う。



とまぁめずらしくまじめっぽい内容を書いてみた訳だが、「提供するかしないか決めるのは本人と親の権利」という考えが定着するならぶっちゃけどの案でもいいと思う。
個人的にはA案かな?「提供したい」と考える人もいるだろうし、そういう人がいるならその人の気持ちにも答えてあげられるA案が最適だと思うんだよね。

まぁ細かい条文読まないで新聞の字面だけで書いてるんだけどね。。。

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